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経営学が直面する4つの変化(2)

AIやデータサイエンスの台頭は、経営学にどういう影響を及ぼすか?4つの変化について、前回の続き、2つめの変化からです。

2.研究✕手法
デジタル化はコンテンツ(論文の中身)だけでなく、研究手法そのものに大きな影響を与えるかもしれません。これは、今回AOM Big Dataで得た一つの気付きでした。日本ではそういう議論は全然盛り上がっていないと思いますが。

一つには、深層学習等を使って書かれた論文は、普通に登場している。

例えば、AOM Big Dataのある論文は、モダンアートの創造性と社会的成功の法則性を研究するため、分析に作品の画像解析(顔認識)を使っていました。具体的には、多くの作品を機械に読み込ませ、特徴量(例えば人物の目と鼻等の相対位置)を抽出させる。それにより個々の作品の特徴量が平均的作品とどの程度乖離しているかを独立変数(創造性)に。従属変数はテキストマイニングで抽出したメディアでの作品の言及量(社会的成功)を取る。そして作品ごとに「創造性」と「社会的成功」の相関を統計分析する、という感じでした。本論文が未公表なので詳細は不明な面もありますが、少なくとも「人間だけでは出来ない分析」は行われている模様。

また別の発表論文は、ある経済概念(例として、サステイナブルエナジー)の社会的認識が、国の制度的文脈によりどう異なるかを検証。それに、自動化(ある国のウェブ上でのその概念の言及をビッグデータ化しテキストマイニング)と解析モデル(Python)でそれを視覚化していました。これは、従来であれば研究者が文献を肉眼で追い、コーディングし、コードを集計し、コーディングを解釈し、文章で書いて説明していたものです。こうした定性研究が一般的だった内容(制度ロジックのディスコース分析)を、定量的技術で処理している点も印象的でした。データのクリーニングが大変だったようですが、
①分析を半自動化し、かつ
②人間だけでは出しにくいアウトプットを出す
(視覚化のX軸とY軸はテキスト相互の近似性をテキスト集計した結果になっており、計算作業が膨大で人間では現実的に難しい)
という点で、一つ目の論文と共通項がありました。

ただ、これらは現時点で先進ツールを研究に使う限界を示しているともいえます。
まず、機械がやるのはあくまで分析パートの一部で、分析設計やその他パートは全て人が担当しています。論文の自動生成にはまだ遠いものです。
また最終的な因果の統計分析も、「データロボットにエクセルデータを入れて自動計算させ最適統計モデルを出させた」ではなく、普通に人力でモデルを抽出したという主張です(もしかしたら、裏でAIに最適モデルを出させ、論文ではそれを使いつつ自分で探索的に出したかのように書く方法もあるのかもしれませんが…)。モデルの自動抽出では「なぜそのモデルが最も適切なのか、検証のプロセスは再現可能で妥当だったのか」といった通常の批判的検討に応えられない、いわゆるブラックボックス問題があり、定量研究を丸ごと機械化するには超えるべきハードルがあるようです。「AIがそう言ったからこのモデルで良いでしょう」では通らない、というか。

一方、もう一つの発見として、カンファレンスでRやPythonといったツール(関連無料ツールの紹介も含む)を使いこなすトレーニングが多数提供されていた、という事実もあります。

要は、この種の手法が優れている認知が広まれば、機械的アナリティクスの活用が、ある種の研究では最低限の要求になってくる可能性があります。「人間だけで分析した(いい加減な)実証研究などアクセプトできません」のような。そうすると、研究者の多くが、生き残るために機械学習や各種アナリティクスのツールを身につけるべきスキルとして追求するようになるかも知れません。ただし、これら手法に関する影響は、研究者の拠って立つ認識論的立場によって違うかも知れません。まずはポジティビスト(客観定量主義)やそれに近い人から、AIツールがマストアイテム化する可能性があるかと感じました。

さらに言えば、こうした変化を決める一番の変数は、論文の審査基準だと思います。もし、査読でこうした変化を異端視し受け入れない派が支配的なら、研究者は安全路線で伝統的な手法を続けるでしょうし、逆になれば一気に潮目が変わる可能性もあります。こうした研究界の現実もまた、まさに技術そのものを論じる経営学研究で昨今主流の「技術の社会的構成」、つまり「技術が組織や社会に与える影響は技術の内容で一義的に決まったものではなく、社会の反応と認識に応じて都度構成されていく」こと、を象徴しているように思います。

3.教育✕コンテンツ
以下、教育系はここでは簡単にしておきますが、MBA的な経営教育もまた、AIをはじめとしたデジタル化の影響を受けています。

AOM Big Dataでも、デジタイゼーションをMBAや経営学部教育の講義内容にどう取り込むのか?というセッションは複数ありました。実務界でもやはり、経営者からマネジャーまで、テクノロジー視点の「学び直し」ニーズは非常に強いと思います。海外のビジネススクールでも、まずエグゼクティブMBAで「デジタルトランスフォーメーション」のような講座を設けた、今後はMBAもしくは学部向けに拡張予定、との話は多くありました。面白いのは、このテーマでは、洋の東西を問わず通常の経営人材育成と逆の構造が見られることです。若い人はデジタルネイティブで昔のビジネス社会を知らないので自然に対応しやすいが、むしろ「かつての世界」での成功体験があるシニアであるほど、OSの書き換えが必要だという感じです。

まだ研究がAIやデジタルの包摂について黎明期のため、研究の知見を活用して教育を行うビジネススクールからすれば、提供コンテンツが十分に固め切れていない、という印象です。このあたりは海外ビジネススクールでも何か決定打があるわけではなく、模索しながらやっている感じでした。

4.教育✕手法
教室に集団で集まって講義する伝統的なビジネススクールが、デジタル的な手段で代替される動きは世界中で起こっています。これは、学会からは少し遠い話なのでほとんどBig Data Conferenceでは議論されていませんでした。海外ビジネススクールの教授陣も、特に伝統的なエリート校やランキング上位校であればあるほど、そうしたエドテック企業と競合している感覚は無く、それほど危機感は無いのかも知れません。

しかし、ここが揺らぐと伝統的な意味での「ビジネススクール」というビジネスモデルが崩れ、そこにいる研究者たちの収入モデルが崩れることを意味します。要は、学費が高く時間もかかるリアルのMBA等よりも、オンラインの安価な教育コンテンツやマイクロディグリーを好む学び手(ビジネススクールの顧客)が多数派になれば、ビジネススクールはビジネス教育市場でディスラプトされシェアを失います。海外の教授陣は高給取りも多いですが、その資金を出す収入の流れが打撃を受けるので、今のような生活と研究のバランスを取れなくなる可能性があります。そのため長期的には、この動きは実は経営学研究や経営研究者のあり方と深い関係があると思います。

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