AIやデータ分析の重要性は、絶対的なものとして広く認識されるようになっています。しかし、そのようにテクノロジーを盲信して良いのでしょうか?今日の論文(エッセイ)は、こうした技術万能主義に対して、組織論がどのような視点を提示できるかを考察したものです。 Saifer, A., & Dacin, M. T. 2022. Data and Organization Studies: Aesthetics, emotions, discourse and our everyday encounters with data. Organization Studies, 43(4) 623–636 要するにこの論文は : 組織論研究で、昨今のデータの台頭をどうとらえるかについてのエッセイ。 ポイント : 昨今は、データの重要性に関する議論が熱狂的なまでに高まっている。それにもかかわらず、組織論研究者は、人が組織やその周辺のデータと「データ化」をどのように経験し、関与するかについて、固定的な価値観に囚われている。 固定的な価値観とは、はじめから組織に決まった形で潜在的に埋もれているデータが、昨今の技術でうまく数値や統計としてキャプチャされるようになり、解釈され、運用可能になるという世界観である。 しかし、実際には、データとデータ化は、多くの場合、数値や統計とはほとんど関係のないさまざまな方法で組織生活の中で経験されるものである。具体的には、我々の日常におけるデータの美的側面、感情的側面、そして言説としての側面が重要である。 美的側面とは、データ化自体を絶対正義と見なし、データに基づいて決定すること自体が、優れていて価値があると盲信したくなる作用(とそれに対する反対運動)である。一部の人や団体はデータ化を盲目的に善として大量のデータを生み出そうとするが、それが使える知恵につながるとは限らない。 感情的側面とは、データ化と監視社会化が、様々な感情的反応を呼び起こすことである。サーベイランスの強化は、監視される恐怖や不安をあおり、また怒りを起こすこともある。一方で、文脈によっては監視されていることが安心感を生む。 言説としての側面とは、「データ分析は仮説も結果の解釈もなしに唯一で明快な正解を出す」と思われやすいが、実際には結果の解釈や使い方に関する議論を必要とすることである。人...
人工知能などの革新的技術が、経営学をどう変えるかを考えるブログ。 組織論や戦略論はどう変化しているか? 研究手法にAIはどこまで浸透するか? など。