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経営学に「未来ビジョン」はあるか

第35回AI社会論研究会が、ドワンゴ人工知能研究所で昨日開催されました。
ゲストスピーカーはお二人。今回は航空自衛隊の方とSF作家という、異色の組み合わせでした。普段は聞けない貴重なお話をうかがう機会になりました。

先に、航空自衛隊航空研究センター長の山下愛仁氏より、「航空研究センターの概要と研究の取り組みについて」のお話。航空研究センターは、航空自衛隊のシンクタンクとして研究企画を担う組織とのこと(研究領域は防衛戦略・事態対処など)。

未来の航空防衛を考える際、AIは主要国が注目する一つの重要要素である。日本としては、人口減少も考慮しAI/ロボットによる防衛機能の代替を真剣に考える必要がある。但し完全な無人化でなく、人とAIの協働の仕方を考える必要があろう。大筋このようなお話と理解しました。

紹介された米国の未来コンセプトYoutube動画にある、有人機とドローンの連携運用、ドローン編隊、母体から大量の小型子機を射出する自動飛翔体など、まさにSF的空想だった世界が真面目に検討されていました。こうした「SF的未来ビジョン」にはどういう意味があるか、は後半のSF論議で再登場します。

経営学との接点が無い話題ですが、あえて言えばこうした技術戦略の背景で、そもそも戦略を考える組織体制(タコツボに陥らない全体最適)、市場インテリジェンス(競合やサプライヤーの洞察)、戦略策定プロセスの柔軟性(可変性の組み込み)などが重要なのかとは感じました。また昨今では経営「戦略」は一般的な言葉になっていますが、戦略はもともと軍事用語であり、ビジネスの世界でそのアナロジーを使うこと自体が20世紀半ばの斬新なイノベーションだった、という経緯があります。それまでは、組織の形態や管理方法、また管理者の役割に関心が集中し、敵である競合と争って勝つための市場行動への洞察は基本的にありませんでした。今では経営戦略自体が独立して活発に検討され、軍事とはほぼ全く関係なく進化と枝分かれを続けていますが。

そして二番目のスピーカーは、SF作家の長谷敏司氏でした。
演題は、「SF作品と未来ビジョンについて——未来ビジョンの作り方の一例」。SF作家は、SF作品という「未来ビジョン」を作る仕事でもある。では未来ビジョン(SF作品)をどう作るのか?を、「ビートレス」という代表作を題材に、具体的に5ステップで熱く語っていただきました。

最も印象的なメッセージは、未来ビジョンには必ず文脈に基づく意図と理由が有り、中立的で正確な未来予測などというものは(少なくともSFには)ない、ということでした。例えば、SF小説を連載する雑誌媒体の読者層。例えば、アニメ化を前提としたフィギュアなどの商品展開。こうした需要の特性に応じ、未来ビジョンとしてのSFは正確な未来予測などと関係なく、シナリオとしての幅出しを求められている。そのため、「SF的な」という安易な言い方は誤解を招く部分がある。SFに書かれているものは、その時代の最高精度の未来予測などでは全くなく、バイアスの力を積極的に借りて市場ニーズを充足するための娯楽なのである、と。

少し広げて考えると、SFに限らず例えば前半の防衛についても、米国が精緻な映像をYou tubeにアップしてまで広げている2030年の未来ビジョンは、そうなることが必然なわけではない。作り手が意図を持って誘導しようとしている一つの世界観といえるかもしれません。個々のアクターが意図を持ってビジョンを打ち出し、そのどれ一つとっても「客観的に正確なもの」はなく全てバイアスがかかったもので、実際の未来はそれらのせめぎ合いの中から生まれる。こうした見方は、制度派組織論で言えば、まさに制度的企業家論の世界観そのものです。

経営学(あるいは社会科学一般)はどうかと考えると、こうした未来ビジョンの提示に対しては、きわめて消極的な考え方が大勢を占めてきたように思います。未来予測よりも、過去の事象を元にこれまでの社会の法則性を説明することに意義を求める。データが無い以上正確な分析も出来ないし、また意図を持って誘導することは価値中立的であるべきとする価値観にそぐわない。未来論への忌避には、こうした考え方が前提にあるような気がします。

もちろんこれは、研究者が依って立つ認識論的立場によって異なる部分があるかも知れません。より唯識論に近い立場に立てば、人の数だけ多様な世界認識がある前提で、個々が持つ多様な未来ビジョンを意味あるものとして分析する(そしてその結果の共有が社会の共通認識を動かすことも是とする)アプローチはこれまでもあったのかも知れません。

そうした社会活動家的な姿勢を取る覚悟があるかが、もしかしたらAI時代の経営学には問われている面があるかと感じます。過去の小さな分析を細切れに行い、説明のために論文を出す頃には現実が遙か先に進んでいる。それでは存在価値があまりにも小さい、と。このあたりは、私も自分の中でまだ答えが出ていない部分です。

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